トークイベント「事業者が語る被災地の今」斉吉商店
2013-03-19


2ヶ月工場をお借りして投資家の皆さんに金のさんまをお送りして9月には伊勢丹で販売しました。

しかしいつまでも工場は借りられないとまたウロウロしていたらカット野菜の工場の一部を借りられることになりました。

震災から一年後にやっと自分たちの工場がたちました。
この嬉しさは末代まで伝えていきたいです。
商品だけは大事に作ってお届けしたいと思っています。

二年たった現在の課題はまだ先がわからないことです。
嵩上げが終って街のインフラができるのを待っている状況で行政に抗うのではなく足元を丁寧にやっていきたい。できないことはキリがないのでできることを見つけるようにしています。

前のことは忘れるように社長に言われました。
前はこうだったのにというのは社内では禁句。新しく起業したと思うようにと。
そうすることで社内は不足を言わずにまとまっていられています。
工場、店舗、事務所がバラバラだったのが一箇所になったことで朝礼も一緒にできるようになってみんなで一緒に話せるようになって一つになったと思います。

また、ノウハウが足りていません。
通販やお客様データの管理の方法などについて。
ネットを使えない人にどうアピローチしていけばいいのかなど。

東北にもともとあった問題を解決する必要もあります。
地元は疲れが出てきています。
これまで復興するんだと責任感で一杯だったために。
私はやりたい放題でストレスと発散できているがここから二三年がつらいのではないでしょうか?
今日は笑ってというのが大切なのでは。自分たちが自分たちの足で歩まないといけない。
みんなの気持ちが楽になってくれるといいと思います。

そうそう復興は進まないと聞いています。
阪神大震災の時は10年、新潟の時も7年かかったと当時の被災者にお聞きしました。
前と同じようにと話が進みがちだけれども、まずは気持ちが元気に暮らせるように。
小さい幸せを大事にするように・・・。震災直後はそうだったけれども今はあっちとくらべて自分のところは・・・という話も出てしまう。

ばっばの台所というのを作りました。
今まで気仙沼の人は大きな家に住んでいたので仮設住宅の台所が狭いという不満を良く聞いたので大きな台所を。

倉庫の予定でしたが家庭科室のような台所にして郷土料理をおばあちゃんから習ったり一緒に御飯を食べたりしています。海鮮丼の店を出す予定もあったけれども市場の近くの臨場感が必要だという事で今はちょっと空気感が違うと感じました。

小学生が工場見学が出来ないからとやって来るようになりました。
最初は大変だと思っていましたが、つみれを作って食べてみると秋刀魚を食べたことがない子供がたくさんいました。気仙沼の子供なのに!


続きを読む
戻る
[講演録・セミナーレポート]
[ミュージックセキュリティーズ]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット