北海道きりたっぷヤマジュウ訪問ツアーに参加しました
2013-06-13


その声がずっと頭の中に残って工藤社長はとにかく復興しようと決意をします。この時は国などの復興支援策が出てくるだろうからなんとかなるのではないか?という気持ちだったそうです。

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ところが大災害となった三陸と違って北海道は被災地として認定されることはありませんでした。
ここから工藤社長の復興に向けた孤独な戦いが始まります。

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国や道に支援策をかけあっても相手にされず、三陸と違って地域として大きな被害が出たわけでもないため地元の金融機関も支援に対して乗り気ではありません。ようやく融資のメドがつきかけた協調融資の話も既存の借入を理由に断られてしまいます。どうにかして支援を受けられないかインターネットを使って情報を集め、国や道、政党、議員とあらゆるところに声をあげてもうまくいかないうちに奥様が大病に罹ってしまいました。(ツアー当日は奥様も見えられ、元気な姿が見られて良かったです)

いよいよ年内の倒産を覚悟し、親戚からも「この状況でバンザイ(お手上げ)しても誰も責められない」と話されてもずっと頭の中にお客様の「お前のとこの魚でないとだめなんだ」という声が残っていたといいます。

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そんな時ミュージックセキュリティーズの被災地応援ファンドの事を知り、三陸地方向けの仕組みだろうと思いながらも電話をしてみるとすぐに状況を確認しに来てくれました。現場を見てもらい、ファンドを立ち上げましょうという事になり、それからは仕事が終わった後に電話口で話ながら復興に向けた計画を作成しました。

半分寄付になり、しかも残りの半分も売り上げに応じた返済でいいなんてこんな条件のいい話は本当にあるんだろうか?と半信半疑になりながら始めたファンドですが多くの方に出資をいただき、復興へ向けて絶対に必要だったドイツ製の真空機も購入できました。

それまでは札幌の店においてあった小型の真空機でどうにか真空パックしていたのですが、もう手に入ることはないだろうと半ばあきらめていた機材をファンドの資金で購入することが出来たのです。
この機械が届いたときは本当にうれしくて泣いてしまいました。その時の涙の意味は息子もわかってくれると思いますと話されてました。

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[ミュージックセキュリティーズ]

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