最初に被災地のことを思い、支援をいただいた方々にお礼を申し上げます。
震災当時、私は東京にいて新橋で茶匠の試験中でした。
今まで感じたことの無いような揺れを感じ、その後テレビで大変な事が起きたという事を知り、翌日一便だけ飛んでいた庄内空港行きの便で東北に帰ることができました。
それから4ヶ月後、営業を再開するまで自分たちよりももっと大変な地域が周りにありました。
自分の出来る限りのことをしたい、命より重いものはないとの思いで自分の会社のことは従業員に任せ、より被害の大きな地域へでかけていました。
幸い、従業員は全員無事でしたが社長が会社にいないことについて叱られました。
「あなたに雇われているんだ。あなたが泥をかく背中をみせるべきではないのか?」
それでも3週間走りまわり続けていると従業員も自分のやっていることを理解してくれ、「社長、待っている人がいるなら行ってください。自分の会社の事は自分でやらないとだめなんですね。」と言われました。
伊達茶は北限のお茶と呼ばれています。私はお茶を日本の精神文化だと思っており、小売りを通じてお茶の全てを伝えていくつもりです。もっと小さな茶畑は北海道にもありますが、経営が成立するような規模でやっているのは桃生が北限で農林水産省からも認定されています。
もともとは伊達政宗公が仙台の地に北の小京都をつくりたいと様々なものを持ち込みました。
その時に東北にお茶を植えた中で現在でも唯一残っているのがこの畑です。
桃生茶という名前で売っていましたが、桃のお茶なのかと他地域の人に勘違いされるため、伊達茶と改名しました。伊達という名前は勝手に使う事はできないため伊達宗家18代泰宗公に相談に行き、ぜひ伊達宗家に見守っていただきたいと話したところ、快く「全力で応援する」と言っていただきました。歴史に紐解かれた文化を守り抜きたいと思っています。
お茶は永年作物で1年に1回しか収穫できません。これは50年畑をやっても50回しか収穫できないという事を意味します。その中で納得できるお茶づくりはなかなかできないものです。収穫を終えたらお終いではなく、翌年に向けて土、根、茎づくりが始まるのです。
お茶は樹齢が最高で30年くらいと言われていますがちゃんと栽培すると寿命は長くなります。
もともと寒さに弱い樹ですが根っこをしっかりと作ることでだんだん慣れて東北の肌になっていくのです。
伊達茶も風評被害と厚生労働省の話が錯綜しましたが、放射能検査した結果問題はないレベルになっています。